2014年4月23日水曜日

さはらこあめ親睦会

この度は、草原の俳人さはらこあめさんをゲストに招き、
『さはらこあめ親睦会』なるイベントを開催しました。

これは、鉄塊集が各自、さはらこあめさんの句集の中から選句をし、
さはらこあめさんに対してのメッセージを提出。
それを読んだこあめさんが、各自に対しての返事を書く、という内容になります。


鉄塊衆の選句


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・小笠原玉虫さんの選句

◎もうたくさんです夕焼け
迷いなく特選はこちらに。わたしがこあめさん作品を好きになるきっかけとなった記念の句です。衝撃でした。夕焼けをこんなふうにやけっぱちに詠んでもいいんだ! と、目が覚める思いが致しました。
 「そっとしといてくれ金木犀」も同じ意味で好きですが、「もうたくさん」の方がより強い拒絶を感じさせるため、大変好みです。わたしが自由律でやりたいと思っていることのひとつ「拒絶の表現」を、このように短く、鮮やかにキめてしまって、どうしてこれにジェラシーを覚えずにいられようか(いや、いられない、ギィィィ!!)。皆がほっとし
 たりおセンチになったりしているであろう夕焼けにもうたくさんと言い放つ。このアウトローっぷりは憧れであります。アウトローの痛みを知る人は大変魅力的です。このことを、わたしは声を大にして申し上げたかった。(玉虫)

○毒のある花が赤く細く開いている赤いパンプスを買った
 いいですね、きっと彼岸花のことでしょう。彼岸花とパンプスの取り合わせが大好き、面白い。真っ赤な彼岸花から、いつも女の脚を連想しているわたしは「おおお!」と膝を打ちましたよ、御句を拝見して瞬間。毒・赤・パンプスと並べていながら、ウェットすぎる女性性を押し出していないのが流石。むしろキリッとした印象を受けるのは、詠み人と対象との距離のせいかもしれない。この距離感は実に見事。わたしは入り込みすぎてべちゃっとした作句をしがちなので、折に触れてこの距離感を思い出したいと思います。Excellent!(玉虫)

○なつかしいうたが流れる明るすぎるコンビニから夜をのぞく
 いいですね。誰にでも覚えのある、少しさみしい夜の光景と思いました。用もないのに明るさにつられてふとコンビニに立ち寄る。偶然、なつかしい思い出の曲がかかる。ふいに思い出につかまって、わずかにたじろぎながら、ひとり。コンビニには店員やほかの客など、自分以外の人間もいるのに、思わずはっと目を見開いてしまうくらいにひとりに感じたのでしょう。そして恐る恐る外を覗けば、真っ黒い夜が滔々と身を横たえている。わたしは自由律にはさみしそうであってほしい。この句にはその点で理想的すぎるほどの「ぽつん感」があります。実にうつくしい。さみしさも美に昇華出来るのだとしたら、それは人類にとって救いであります。さみしいのは自分だけではないのだという救いを覚える句。詩ってこれが正解という気がする。(玉虫)

○桜咲くらしく母は死んだ
 これは凄い。と、いうか、拝見した瞬間、先を越された感でいっぱいになりながら、同類を見つけた嬉しさを同時に覚えました。大変いいです。またまたわたしが自由律でやりたいこと語りになってしまいますが、わたし「家族を無慈悲に詠んで」みたいのです。短い言葉でバッサバサ切り裂きながら、彼らの本質をつかみ出して、本人の足元に、ほらよ、ベチャッ、て投げ出してやりたい。同時にそうすることで酷く傷ついて、血だらけになっているわたし自身も一緒に投げつけてやりたい。こういうことをする時は、ウェットじゃダメなのです。ウェットでは笑われるばかりで届かないことでしょう。この句のように研ぎ澄まさなくては。やりたいことそのままで、大変興奮致しました。わたしも湿度を排して研ぎ澄ますことをここに誓います。(玉虫)

○雷はまだか雨のてっぺんを睨む
 スゲーーーーーいい!! 大変いいです。夕焼けの句に共通するものをここでも感じます。季節や天気なんかに和んだりしないぞという拒絶の決意を感じる。「雨のてっぺん」の雷を「睨む」という行為は、神への挑戦ですね。神に中指を立てて生きる。言うのは簡単ですが実行は非常に難しく、また、その継続は更に難しい。それをやってのけてやるという俳人の決意と受けとりました。やはりこの詠み人はアウトローです。背筋をぴんと伸ばした、筋金入りのアウトローです。雨の冷たさをいやという程知りつつも、雨になんか負けないと決めている。カッコいい。わたしもあとに続きたいと思います。(玉虫)
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五句選には漏れましたが、以下の句も大好きッス!

せめるものはいないよるのしんとする
死にたいまま生きている鼻をかむ
 お日様はいつも居る私は時々居なくなる
花びらがまだ濡れている電車を乗り過ごす
誰とも話さなかった爪先へ百日紅ひとつぶ
週末に蝉が豪雨となり更ける

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・風呂山洋三さんの選句

こんばんは。さはらこあめ鑑賞文、送信いたします。

どしゃぶり連れて歩くかかと
写生句というものは、ただそのままを詠むというのではなく、余情を秘める、あるいは読み手自身の余情を引き出すというのがポイントとなるだろう。この句の場合も、もしかしたら彼女は見たままを詠んだのかもしれない。だが、私自身の中で情景が大きく広がった句である。
 「どしゃぶり」をあえて「連れて歩く」という描写には強さを感じる。それは堂々となのかもしれないし、虚勢なのかもしれない。いずれにしても「どしゃぶり」に対して真っ向から向き合う意志が感じられるのだ。
また、着目すべき点として「かかと」をあげたい。彼女の句には、句材に「足」を用いた句が他にもいくつか見受けられる。

 砂浜へ置いてきた裸足
 足跡から雪が解けていく
女性なら靴を句材に用いることが、男性に比べ多いかもしれない。しかしながら、ここではアイテムとしての「靴」ではなく、身体の一部をしての「足」を表現している。「足」は主に「移動」を司る部位である。そう考えると、ますます空想の翼が広がるのを抑えきれない。彼女はどこに行こうとしているのだろう。そんな言葉さえ頭をよぎる。もちろん、これは私の空想に過ぎない。ただ、ここまで余情を引き出せるところに、彼女の句の持つ力を感じてならないのである。

 忘れていく人に名前呼ばれた
 これは恐らくは認知症の方のことだろう。認知症は新しい記憶を保てないことが多い。そんな方から名前を呼ばれたのだから、さぞかし嬉しかったに違いない。しかしながら、句自体からはその喜びを感じさせないような客観的な視点で描かれている。「忘れていく」という哀しみさえも同時に表現したかったのかもしれない。その哀しみの中でのささやかな喜び。私はそんな風に捉えてみた。
また、他の類句を引いておきたい。

 記憶を病む人の記憶に居た
 そういえば、こんな言葉を思い出した。
 「記憶には残らなくても、感情が覚えている」
たとえその人が誰なのかを忘れてしまったとしても、その人といると心が安らぐなどの感情は残るものらしい。とすれば、彼女は「記憶を病む人」の「記憶」だけではなく「感情」にも存在しているのかもしれない。
 彼女のやさしい人柄を、思わずにはいられない句である。

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・十月水名さんの選句

お世話になります。十月水名です。さはらこあめ親睦会に参加します。

・雲が灰色で動かん
口語表現にクスリとさせられた。「灰色の雲」とせず「雲が灰色」としたことで、濁音が二つになり、リズムを作っている。

・青で進む赤で止まる寒い
社会の秩序を守る規則、ルールに個々の感情は関係ない。だが、感情におもむいて行動するのが人間だ。最後の「寒い」は、社会のルールに対するささやかな抵抗にも感じられた。
以上、草原26ー4から2句、取り上げました。よろしくお願いします。

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↓さはらこあめからの返信


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 玉虫さま

「もうたくさんです夕焼け」
この句には二つの意味があります。(うんざりだ)と(もうこんな時間、夕焼け広がって綺麗)です。二つの意味を込めるのが好きなんです。ふたご座ですし。どちらかといえば、私自身、うんざりだ夕焼けは私の中にあるから、腹一杯だよ。という気持ちになることが多いかな。ただ、詠むときは心の整理が出来た時詠めますから、この時はどちらでもなかった気がします。「そっとしといてくれ金木犀」はそのままですね。強い匂いがあまり好きではないのです。ジェラシー、いただきました(笑)

「毒のある花が赤く細く開いている赤いパンプスを買った」
 私は彼岸花が好きです。田畑の周りによく生えていますね。彼岸花の毒で田畑に虫が寄り付くのを防ぐ効果があると聞きました。
ただ、この句を詠んだ時は悪い男に弄ばれたあとだったので(笑) 所詮人間だし、年を取った女だし、純粋にはいられない。私には毒はあるが、花にはなれない。せめて赤いパンプスでも買おうか、と実際購入し愛用しています。この間も二足目買いました♪本当は赤いマニキュアをつけたいのですが、介護という職業柄つけられないのでパンプスにしました。あと、彼岸花の赤く細い部分がパンプスに似ていると思ったのもありますね。

「なつかしいうたが流れる明るすぎるコンビニから夜をのぞく」
 私は今まで自分独特の世界を詠むことが多かったが、みんなにも共通する状況を詠もうと踏ん張っていた。だが、普通、が解らなかった。元引きこもりで、フリーターや派遣工など短期の仕事でプラプラしていた私が、介護の仕事をするようになり、少しずつ変わっていき人との交流も出来るようになり、心の余裕が出来てきた。でも、やっぱり難しい、寂しい、ひとり。そんなとき、深夜に立ち寄ったコンビニで懐かしい歌が耳に入る。あの頃も悪いことばかりじゃなかったかもしれない。でも、今の私もまんざらでもないな、ってね。明るすぎる場所が苦手な私は、休むことのない街の夜の車道を見た。陰と陽のまざった位置に居ると感じた。

「桜咲くらしく母は死んだ」
この句は、層雲に所属していた時に参加させていただいていた句会に提出した「さくらさくらしく母はしんだらしく」を最近推敲しました。3月26日に母は49歳で亡くなりました。離婚し再婚相手と二人で暮らしていましたが、アルコール依存性だったこともあり、いろんな臓器を患ったのち、腎盂炎で眠ったまま息を引き取りました。だから電話で知ったんですね。そろそろ桜が咲くかな咲いたかなという時期です。この時の心境は「あっそ、桜咲くの、それどころじゃないよ、母ちゃん死んだんだよ」でした。日本が桜で賑わう光景を冷めた目で見ていましたね。私は、母を憎んでた、でもその気持ちも和らぎ、幸せになってくんなきゃ許さんよ、という気持ちになりつつありお互いに和解しようとしていた矢先のことでした。ぽっかり穴が開いた。だから、余計な言葉はいらない。さんざん憎んでいた肉親を私は許したい許してる許さなければならないと思う40歳の春。

「雷はまだか雨のてっぺんを睨む」
 私は、雨が好きです。梅雨に生まれましたし。ただ、この時はどうすることもできない宿命的なことの諦めと怒りと悲しみのごちゃごちゃで天にメンチ切ってました。しかし、天と私の目ん玉は、夕立でした。どないせっちゅうねん!ってな感じね。
たくさんお気に入りをあげてくださってありがとう。タメだからね、尚更うれしいよ。よっしゃ!あたしについてこい!

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風呂山さま

「どしゃ降り連れて歩くかかと」
この句は初期の頃に作った句。元々定型を作っていたこともあり写生です。雨の時歩くとかかとに地面の雨や泥が跳ね返って濡れるんですよね。雨、連れて帰っちゃった、と思いました。心情を込めるため、小雨ではなく、どしゃ降りにしてウジウジ泣きながらも生きていかんといけんのじゃ、みたいな感じかな。化粧が苦手でいつもスッピンな私は基本裸足が好きです。風呂山さんの読み、なかなかするどい!やるな、風呂山♪

「忘れていく人に名前呼ばれた」
この句は風呂山さんの読み通り、認知症の方の句です。仕事で接していますので。不思議なんですよ。不思議なことがたくさんあるんです。認知症だからと言ってすべて忘れるわけではなく、認知症のレベルによりますが、職員の顔も名もしっかり覚えておられる方はたくさんおられます。人と接するのが苦手であえて飛び込んだ仕事。他者よりも頻繁に挫折が訪れます。そんななか、普段不穏になったり、健忘の頻度の強い方が名前で呼んでくださり、「がんばりんさいよ」と声をかけてくださった。泣きました。記憶より記録より気持ちに残りたいですね。
風呂山さんは、ずいぶん前にミクシーでも交流してくだってましたね。ありがたやありがたや。

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十月さま

「雲が灰色で動かん」
この句も私の得意技である『やけっぱち句』ですね。広島弁です。駄目なときゃ駄目かっ、こんちくしょうめぃっ!てな感じかな。定型をやってたぶんリズム感は気にしますね。

「青で進む赤で止まる寒い」
1社会人として、人間として、道にはずれちゃいかんのじゃが、なかなかそうもいかず、『だって人間だもの  みつを』といったところじゃろうと。これもリズム感気にしましたね。
十月さんは、広島の方でしたっけ?ありがとうございました。

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