2013年5月27日月曜日

『カッパKO』

 百貨店の屋上に、観覧車がある。地上七階の古びたタイル張りの建物の上、色とりどりのゴンドラがゆっくり廻っている様は、風景そのものが欠伸をしているように見える。幼い頃からもう何百回と、数え切れないほど眺めてきた景色だ。それはあるときには冒険への出発にも似た心躍る非日常への誘いのようであり、またあるときは、ありふれた生活のひとこまに過ぎなかった。屋上遊園地が全国でも珍しいと知ったのは、つい最近のことだ。あって当たり前と思っていたものが、それから急に有り難みを増した。
 退屈な街だ、と唾を吐き捨てるように、この景色と訣別したのは今から二十数年前。そして東京で食い詰め、帰ってきたのが三年前。私は何を成し遂げることもなく、ただ無駄に歳を重ねていた。デパートの屋上の小さな観覧車に乗って、しばらく景色を眺めていただけ。思えばそれが私の東京暮らしだった。
 エレベーターを最上階で降りると、ペットショップがある。熱帯魚や小鳥、齧歯目などが、水槽、籠、プラスチックのケースなど、それぞれ適した住処に納まる。日向の水がみるみる乾いていくときのような、蒸れた生命の匂いがそこらじゅうにたちこめている。私は少し噎せそうになりながら足早に、香ばしい店内を通り過ぎた。
 屋上に一歩出ると、それまでとは質の異なる喧噪に包まれる。色とりどりの遊具やゲーム機が奏でる電子音だ。強い日差しと相まって、軽いめまいを覚えた。平日の午後とあって、客は少ない。そこで色彩と音響の洪水に包まれ、一瞬にして異世界へ迷い込んだような錯覚を起こしたのだった。
 観覧車はその中心をピンクのガーベラに似た花で飾られていた。星形に組まれた鉄骨の先から、一台毎に色の違うゴンドラがぶら下がる。観覧車それ自体が、一枚いちまい違う色の花びらを持つ、大きな花のようでもあった。
 深酒をして、昼近くに起きた体である。コンクリートの照り返しがきつい。そして何より、子連れでもないのに屋上遊園地にぼうっと佇む中年男、という己の半端さが居心地悪く、早々に屋根の下に入った。
 ゲームコーナーに人影はない。それでも電子音は鳴り続けていた。客が来てからコンセントを入れるわけにもいかないのだろうから仕方ないが、電気の無駄という印象は否めない。誰も居ないのにけたたましく音楽を響かせる機械の数々は、いつの間にか個別に意志を持った生物へと変化しているのでは、との妄想を抱かせた。
 私は近くを通りかかったポロシャツ姿の従業員を呼び止める。
 すみません、と控えめに切り出した私の問いかけに、彼は怪訝そうな顔で答えた。
「カッパ……ですか」
「そう、カッパにね、ボールをぶつけるゲームなんだけど。知らないかな、誰か、長く勤めてる人とか」
 その若い従業員から、答えが聞けるとは思っていなかった。彼は一度、店内に引っ込むと、スーツ姿で私よりも少し年下と思しき男を連れて戻ってきた。この遊園地とゲームコーナーの、責任者ということなのだろう。
「申し訳ありませんが、お客様」
 その男は私の正面に向かい合い、私の後頭部を凝視するような目をしていた。私の頭の中に何が詰まっているのか、透かして見ているのだ。
「そのようなゲームは当園では扱っておりません」
「昔は確かにあったんだ。何年前くらいだろう、なくなったのは」
「申し訳ありません、存じ上げません」
 調べてみて、分かり次第ご連絡しますというので、電話番号をメモして渡した。きっと電話はかかってこないだろうが、そうするしかない。
 私が探していたのは『カッパKO』というゲームだった。コインを入れると忙しなく動き始めるカッパの人形に、ゴムのボールを投げつける。命中するとカッパは、クワックワッ、だったかケケケだったか、そんな声を上げ、さらに激しく踊る。それより少し前に大流行したモグラたたきに似た、ストレス解消のためのゲームだ。
 この、どこかヒステリックともいえる遊びに、最も夢中だったのは高校の頃だった。放課後、友人たちとこのゲームコーナーに集まり、なけなしの小銭をつぎ込んではカッパにボールをぶつけていた。いま思えば、阿呆である。
 ふざけて踊るカッパは、私そのものだった。当時の私は、部活動はせず成績もぱっとせず、当然ながら女にもさっぱりもてなかった。だから男友達とたむろして、カッパにボールをぶつけるぐらいしかすることがなかった。私は私の幻影にボールを投げつけ、己の無能を嘲笑っていたのだ。
 そして二十数年に渡る無為な東京暮らしに見切りをつけ、私はこの街に帰ってきた。ふと再会したくなったのは当時の友達ではなく、カッパだった。結局帰ってきちゃったよ、と言いたかった。
 自分を、変えたい。今の自分は何者でもない、踊るカッパの人形だ。この街を出て、ひとかどの者となり、私にボールをぶつけた奴らを見返してやる。
 ……そんな狂おしい思いに苛まれた、十代のある日のことだった。私は確かに聞いたのだ、カッパの声を。
(ぶつけろよ、思い切り)
 そのときは友達と一緒ではなく、私ひとりだった。いつものようにゲーム機にコインを入れ、ボールを握りしめると、カッパがそう言った……ような気がした。
(自分を壊したいんだろう?)
(ぼくはちょっとやそっとじゃ、壊れないよ)
 あれは確かにカッパの声だった。しかし、はっと我に返ると、カッパはいつものように、単調な動きを繰り返すだけだった。私はカッパの腹の真ん中めがけ、強くボールを投げた。カッパは、きっ、と真っ正面を見据え、堂々と踊っていた。これがぼくだ、文句があるかとでも言いたげに。
 私はあのときのカッパを探しに、この街に帰ってきたのかもしれない。ごめんと一言、謝りたかった。痛い思いをさせた割に、たいした男になれず、申し訳ない、と。
 百貨店を出ると、日差しはさらに強まっていた。もう夏だった。がらくたをかき回したような電子音が、まだ頭の中で鳴り響いていた。

やめるのをやめてのうのうと生きている   

(作・松田畦道)

<了>

(とある文学賞に応募し、あえなく落選した作品の冒頭を若干修正して短編としました。)

2013年5月18日土曜日

某ブログを読む



「自由律俳句」で検索をしていると、あるブログに行きついた。おそらくは子持ちの女性が、日々の暮らしを書き連ねたもので、なかには自身が詠んだ自由律俳句をまとめたページがあった。これが非常によいのである。

2009年で更新がとまっており、ブログ作成者と連絡をとるすべがないのが残念でならない。以下に19句を選んで鑑賞するが、紙幅に余裕があれば、全句に鑑賞文を付したいほどであった、

なお、ネットで公開されている以上、こうしてとりあげることに問題はないと考えてのことだが、ブログへのリンクを貼ることはしないでおく。

友らしい切り方でにんじんの天ぷら
この友は、自身の友がにんじんの切り方に着目しているとも知らず、できあがった料理を頬張っているのである。面白い。おそらくざっくりな感じだったものと思う。

いつも弟に譲っている子と枕を並べた 
これが母の目線かと、はっとさせられた。あまりに愛おしい景だ。

障子の穴から新緑
子供とともに暮らしていることを想像せしめる一句。白と緑のコントラストがよい。

散るだけ散って沈黙の落ち葉
「沈黙の」はなくてもよいかと思ったが、そうすると重さがなくなってしまうかもしれない。類句はあろうが、好き句。

私でしかない私を見つめて化粧する
この詠み手は、顕信を読んで句作をはじめたのではないかと思い至った句。理由をうまく説明することはできない。

おにぎり持つ手から天道虫が飛び立つ
お子さんの手だろうか。運動会かピクニックかわからないが、春の陽気がみえる。

母の手そのままにおにぎり
子にとって、世界で最もおいしいおにぎりは、母の手でつくられたものなのである。私も未だに無性に食べたくなることがある。

ピンクのリボンでおかあさんの絵となる
お子さんが、家族の絵を描いていたのだろう。何が何やらわからないが、ピンクのリボンが決め手となった。

魔法使いの声色も出して読み聞かせ
少ししゃくれた声だったのではないだろうか。夜の寝る前の束の間の時間、子どもたちも読み聞かせの世界にひきこまれていたことだろう。

お母さんと結婚したい息子二人持つ
こういうことを言うのも今だけだと知っていても、それでもなお、嬉しくないわけないじゃあないか。

子ら眠った後に時計の音
子どもの頃のことである。夜中に目が覚めると、居間に明かりが灯っていることに気付いた。ふすまを開けて中をのぞくと、カチッコチッという時計の音と、テーブルに突っ伏した母の姿があった。なんとなく、思い出した次第である。

草の実いっぱいつけて走ってきた
おそらく、私の地方でいうところの「バカ」のことだろう。何故かわからないが、子どもはあれを大層好むのである。

大きめのスリッパの大きさにはしゃいでる
これぞ子供。いいじゃないかいいじゃないか。声が聞こえてきそうだ。

点数つけてやれば何度でも逆立ちしている布団の上
構ってくれる大人がいると、子どもは異様に頑張るものである。子が疲れるのが先か、親が疲れるのが先か。

木の実採って子らと戦闘開始
ここで容赦をしては、子らに失礼。全身全霊をもって、戦いに挑んでいただきたい。

※以下二句は、お子さんが詠んだ句とのこと。

あさみえた山がみえなくなってあめがふりだした
山に雨雲がやってきたのだろう。冗長さに時の流れを見る。

やさしそうなおじぞうさまにおねがいする
子どもながらにちゃっかりしている。人定めがうまいのかもしれない。

2013年5月9日木曜日

川を読む、山を読む

※鉄塊衆名簿自作五句ならびに鍛錬句会投句より。

白川玄齋

恥で済めば安いものだと六十八の父
恥と何を天秤にかけていたのかわからないが、半世紀以上を生きた人の実感がこれなのだろう。教訓としておきたい。

苦瓜をひとつ実らせる人生か
この句はポジティブに読みたい句である。苦瓜ひとつでも、実らせるだけで十分である。そこに生きた証が詰まっているのだから。

道を語らなければ好い人だ
しかしこの人は、道を語ることをやめないだろう。道を語ってこそのこの人なのである。困った。

アンドロイドを夢見た少年は機械に生命を握られており 
初見ではよくわからなかったが、改めて読み直すと面白く思えた。ストーリー句とでもいうのだろうか。この少年の先を知りたい。

柔肌以外もいろいろ知らず
知らないことは誰にでも無限に存在する。その中の筆頭に「柔肌」をもってきたところに面白みがある。

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風呂山洋三

生まれてくる子よ腹を蹴りなさい
佳句。愛も強さも願いも描かれている。なお、以前に『草原』に掲載された句に「胸高く腹高く臨月でいる(幸市)」があった。

天狗かもしれぬ羽音に山深まる
山とともに暮らしている者にしか詠めない景だろう。天狗信仰には地域性があるのだろうか、私の地元では天狗の話をきいたことが一度もない。

雪の田の熱い血潮覚え夕暮れ
「雪の田」を知らない故か、景を想像できなかったことが口惜しい。雪の田を前にして熱い血潮を覚えるとは、雪国に生きる人びと強さの表れか。

雪の教える猫の散歩道
積雪の日(あるいはそれは日常なのかもしれないが)、猫の足跡をみつけたのだろう。その先には何かが待っているのかもしれない。

宝物みつけたよ犬小屋あった辺り
ここでいう宝物とは、犬の毛と読みたい。私も同じように、みつけたことがあったのである。