2013年2月27日水曜日

第十回 研鑽句会

最高得点句(二句)

その手紙を焼く飛んで蜘蛛の巣を焼く

ラヂオにお寝みなさいと云はれてからが永い夜で



最低得点句(二句)

夕月、体温表の山はなだらか

獨りゐるエープリルフール雨がふる




(四点) その手紙を焼く飛んで蜘蛛の巣を焼く ◎○○
(四点) ラヂオにお寝みなさいと云はれてからが永い夜で ◎○○
(三点) 遠くに或は心にないてかっこう ◎○
(三点) 私を孤独にした遠い耳を空にむけてゐる ○○○
(三点) 赤鉛筆のなつかしい色熱を記したあの ○○○
(二点) かげのない日の柿をもいでしまふ ○○
(二点) とんぼにとまられてゐる私で足りてゐる ◎
(二点) 呼べばだいどこからいつも濡れてゐる母の手 ○○
(二点) 四五羽の雀の顔おぼえて病んでゐる ◎
(一点) ごみ箱が林檎の皮たらしてゐる日も寒い ○○●
(一点) ラヂオの野球がすめば薬のある枕元 ○
(一点) わたしをおぼえてゐさうなつくしんぼで ○
(一点) 或日と云ひたいやうな今日のチウリップと夏蜜柑 ○
(一点) 乾く石と乾かぬ石と蟻が働いてゐる ○
(一点) 掃くにはや土にならうとする落葉もある ○
(一点) 土に影おけば癒えてゐるやうな ◎●
(一点) 日に日に薬の紙を手にして三羽の鶴 ○
(一点) 父のない子でよくない言葉覚えて霰のなか ◎●
(零点) 盗人も巡査も白い息をして行く ◎○●●●
(マイナス一点) 夕月、体温表の山はなだらか ●
(マイナス一点) 獨りゐるエープリルフール雨がふる ●
(無点) おとろへ夕立の力を見てゐる
(無点) すがられた蔓にすがつて倒れないのだ
(無点) その葉のかたちになつてくるそれに雨
(無点) だまつてついてゐるうめもどきのみかな
(無点) また体温器と年を迎へ
(無点) 黒い塀におもひ出のやうな蝶がきた
(無点) 雀の胸に呼吸のみえてゐる元日です
(無点) 蜂の巣は葉の裏雨がふる
(無点) 枕べ月と夏みかんはいつも一つおかれる


特選(◎)2点、並選(○)1点、逆選(●)-1点として集計。


◎作者紹介


海藤抱壺(かいどうほうこ・本名 寛)

略歴

1901年(明治35年)、5月13日宮城県仙台市に生れる。
少年期を熊本、島根県日原で過ごしたのち仙台市に移り、
1914年県立仙台二中に入学、17、8才の頃より聖書に親しむ。
肺結核のため1920年退学。1940年(昭和15年)9月18日の死まで自宅で療養生活をおくる。
1925年から荻原井泉水に師事、「層雲」に投句をつづけた。句集『三羽の鶴』(1934年)がある。

○句集『三羽の鶴』の抱壺本人によるあとがきより

<十七八の頃より聖書に親しんできたその信仰は、求めて徹し得ざる悩みに終始した――俳句に拠つて神に到らう――
私は独りさう思ふやうになつた。句作に研ぎ澄した詩。魂の極みに、かの預言者エリヤの聴いた「静かなる細微(ホソ)き声)」は
響いて来ないであらうか……。とまれ、私はこの儘の姿で、句を作る心境に於て救はれるのでなければ救はれないに違ひない。>


○山頭火が抱壺を訪問した折の山頭火日記より

<私は遂に自己を失つた。さうらうとしてどこへ行く。――/抱壺君にだけは是非逢ひたい、(略)/
青い山、青い野、私は慰まない、ああこの憂鬱、この苦悩、――くづれゆく身心。
六時すぎて仙台着、抱壺君としんみり話す、予期したよりも元気がよいのがうれしい、どちらが果して病人か!/
歩々生死、刻々去来。/あたたかな家庭に落ちついて、病みながらも平安を楽しみつつある抱壺君、生きてゐられるかぎり生きてゐたまへ。>


○荻原井泉水の抱壺評

<彼の句は、彼が病気から逃避する手段ではなくて、病気を克服する為の一種の精神力だつたといふことも
考へなくてはならない。彼の句に逞しい力があるのは、其為である。>



なお、『草原』のページにも彼の解説がありますので、ご参照下さい。

海藤抱壺のページ


●編集より一言

病気の中で学問を進める、そんな例として儒学では孔子の弟子の顔回がおり、
そして自由律の俳人としては彼である、そう思います。


彼の名前の「抱壺(ほうこ)」というのはおそらく、唐の詩人の王昌齢(おうしょうれい)の、
「芙蓉楼(ふようろう)にて 辛漸(しんぜん)を送る」の
最後の二句が関連していると思います。

「洛陽親友如相問、 一片冰心在玉壺。」

「洛陽(らくよう)の親友 如(も)し相問わば、
一片の氷心(ひょうしん)玉壺(ぎょくこ)に在り。」

(訳)もし洛陽の都の親友たちが、私がどのような状況かを尋ねてきたら、
一つの氷のような澄み切った心を、壺の中に入れるように
大切に取り守っているところだと言っておいて下さい。


「抱樸(ほうぼく)」、つまり生の木のような生まれ持った純粋な性質を
取り守って変わることがない、という言葉にもあるように、

「壺」の中に入れるように自分の清らかな心を大切にしよう、
そんな心情が窺えます。その清らかなものはキリストへの信仰も
その一つだと、そんな風に思います。

第十回 鍛錬句会

最高得点句(同点の二句です)

ひび割れた眼鏡で時間通りに来た

何のおまつりかは関係ない犬がきた


最低得点句

ふたりだけの星座を結んで帰ろう



(六点) ひび割れた眼鏡で時間通りに来た ◎○○○○
(六点) 何のおまつりかは関係ない犬がきた ◎◎○○
(四点) まだある鼓動聞いて眠る ○○○○
(四点) 改築とは寒椿を伐り倒すことでもあったか ◎○○
(三点) さよならのかたちのまま手袋を脱ぐ ◎○
(二点) 救助された男の目に満月 ○○
(二点) 結婚刻んだ皺見せられてる同窓会 ○○
(二点) 七度八分で氷柱細くなった ◎
(二点) 袋を開ける事が発作 ◎
(二点) 不意の知人へ笑顔をつくる ○○
(二点) 忙しいという時も過ぎて夕暮れ ◎
(一点) また音痴を聞かされる梅が枝 ○
(一点) 五つずつ数を数える正しくなくとも正しくなくとも正しくなくとも ○○●
(一点) 家出したいと言う一人暮らしの女といる ○
(マイナス一点) ひどすぎるブログを更新 ●
(マイナス一点) いいわけない助手席に長い髪の毛 ●
(マイナス一点) 時計屋さん正しい時刻はどれですか ○●●
(マイナス一点) 立春すでに燃えカス ●
(マイナス二点) ふたりだけの星座を結んで帰ろう ●●
(無点) 自分だけが知っている名前ばかりのアドレス帳
(無点) 雪に顔突っ込んで姑の悪口
(無点) 握手は全部トラウマだ
(無点) おばあちゃんと歩く女はゴスロリ
(無点) くしゃみしたら空が破れてね


特選(◎)2点、並選(○)1点、逆選(●)-1点として集計。



●作者発表(作者は五十音順で敬称略、句は投稿順)


【渋谷 知宏】

くしゃみしたら空が破れてね
立春すでに燃えカス
何のおまつりかは関係ない犬がきた


【白川 玄齋】

また音痴を聞かされる梅が枝
忙しいという時も過ぎて夕暮れ
自分だけが知っている名前ばかりのアドレス帳


【中筋 祖啓】

ひどすぎるブログを更新
握手は全部トラウマだ
袋を開ける事が発作


【畠 働猫】

まだある鼓動聞いて眠る
五つずつ数を数える正しくなくとも正しくなくとも正しくなくとも
結婚刻んだ皺見せられてる同窓会


【馬場 古戸暢】

不意の知人へ笑顔をつくる
家出したいと言う一人暮らしの女といる
おばあちゃんと歩く女はゴスロリ


【藤井 雪兎】

雪に顔突っ込んで姑の悪口
救助された男の目に満月
ひび割れた眼鏡で時間通りに来た


【本間 鴨芹】

七度八分で氷柱細くなった
時計屋さん正しい時刻はどれですか
いいわけない助手席に長い髪の毛


【松田 畦道】

さよならのかたちのまま手袋を脱ぐ
ふたりだけの星座を結んで帰ろう
改築とは寒椿を伐り倒すことでもあったか


(以上、八名)

※今回、天坂 寝覚さんが欠席です。

2013年2月13日水曜日

『天坂寝覚を読む』 ~Twitterと尾崎放哉~


 Twitterで天坂寝覚さんを知ったのは、私が『鉄塊』に加入する少し前だったと思う。いわゆる『俳句クラスタ』のひとりという感じで、フォローするにあたって特別なきっかけなどは思い出せない。それは寝覚さんも同じだろう。気がついたら相互フォローだった、というわけだ。ただ、いい意味での『冷たさ』、つまり冷徹な視線をもって、鋭い句を作るひとだとの印象はずっと持っていた。
 言葉の鋭さを、剃刀にたとえる場合がある。対象を瞬時に、すぱっと切り取る。そういう速度と切れ味を兼ね備えた言葉を指していう。では寝覚さんの句が剃刀のようかというと、ちょっと違うという気がする。これは自由律俳句という詩型の特性でもあるのだろうが、いきなり斬りつけてくるようなタイプの鋭さではないのだ。むしろ、ゆったり、じんわりと染みこんでくるような言葉の連なり。なのにいつの間にか、心のどこかに、切り傷をつけられている。そんな印象。剃刀ではないとしたら、『かまいたち』だ。風が吹いたと思ったらいつの間にか、斬られているのである。タイムラインに寝覚さんの句を見つける度に、私はううむと唸り、血の流れない傷口を、不思議な思いで撫でさすっていたのだった。
 『東京自由律俳句会』が若手俳人を対象に行ったアンケートで寝覚さんは、俳句を始めたきっかけについてこう答えている。
「Twitterのアカウントを作るにあたり、自分の暮らしぶりや考えや日常の出来事をただ書くだけではつまらないなと思っていたときに、たまたま放哉句集が手元にあり、そういえば俳句というものがある、ということに気がついて始めた。」
 この一文に私は、なるほどと思ったものだ。彼はまずTwitterを始めることを思い立ち、そのコンテンツのひとつとして、俳句がたまたまあった、というのである。なんと現代的なのだろう。ひとことの呟きが瞬時にして多くの人の目に触れる、というTwitterの特性が俳句に適しているということを、彼は直観で掴んでいたのだ。SNSのコンテンツとしての俳句、という考え方は今後、若い世代へ俳句の普及を目指すとき重要なヒントになると思う。
 そしてもう一点、俳句を始めるにあたり寝覚さんの手元にあったのが、尾崎放哉句集であることにも注目したい。こころのなかに俳句という庵を結んで孤独と向き合い、静かに己が滅びるのを待つ。寝覚さんの冷徹な眼差しは、放哉から影響を受けていたのである。ここでも私は、おおいに納得した。 
 この度、本稿を書くにあたり、寝覚さん本人の了承を求めた。寝覚さんは快く許してくれたばかりでなく、『鉄塊』を始めとしたネット句会、そしてTwitterで発表した句を纏めたファイルを送ってくださった。その数、二百数十句あまり。私は句集を一番乗りで手にしたような、贅沢な気分で寝覚さんの句を改めて読んだ。そのなかからいくつか、ここに紹介させて頂く。


 昨日がまだ枕に残っていた


 その俳号となにか関係があるのか、寝覚さんの句には眠り、目覚め、そして夢などの素材が多用されている。それは死と再生の、穏やかな暗示に他ならない。かつて放哉が肉体の衰えと死を静かに受け入れ、句風を研ぎ澄ませていったように、寝覚さんは眠り、夢を見て、目覚める。そして、それら営みの境界に句材を見つけるのが、とても巧みだ。
 昨日の出来事はあえて語ることなく、枕だけがそこにあるという本句。細胞が死ぬ匂いに鼻腔をくすぐられるようで、ぞくっとくる。


 今日を使いきったこどもが寝ている



 本句の場合、寝ているのは詠み手ではなく遊び疲れた子供である。夏の午後から夕方にかけて、汗と埃にまみれた体で縁側に横たわる、そんな景が浮かぶ。一日外で遊んだ子供の足の裏の臭いは生命力に満ちているが、とりあえずいまのところは『今日を使いきった』状態。そして明日には再生し、また野山を駆け回るのだろう。人生を使い切って庵で横になるしかない放哉とは好対照だ。


 すこし濡れて行く人を見送る


 フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』では、主人公ギャツビーの葬儀は雨の中執り行われた。そして誰かが呟く。「幸福なるかな、死して雨に打たれる者」。雨と死には密接な関係があるのだ。
 本句における、『すこし濡れて行く人』の存在感のあやふやさにも、死が強く匂う。私たちはその人を、無言で見送ることしかできないのである。


 てんごくの話するふたりで海に行く


 第七回鉄塊鍛錬句会で最優秀となった『今朝夢でころしたひとと笑う』と同様、ひらがなの使い方が巧みな一句。「漢字で書くと、殺したこと、殺した人のこと、見たり読んだりしたときに乗る感情が余りに鮮明になってしまう」とは寝覚さん自身のコメント。生々しさ、禍々しさを和らげ、ふわっとさせる技法が、本句でも生きている。ひらがなにすることで、死と真っ向から対峙することを避けている、との意見もあるかもしれない。しかしよくよく考えれば、死や天国など、その鮮明な様子は誰も知らないのだ。だからこそ、柔らかいフォーカスで描写するほうが、誠実な姿勢であると私は思う。
 また、こんな句も思い出させる。『風生と死の話して涼しさよ』(高浜虚子)。風生とは虚子の弟子、富安風生のこと。


 皆出て行った花火の音


 鉄塊ブログ2012年12月25日記事『今年一年を振り返る』でも選んだ一句。そのときと同じことを書くが、やはり取り上げないわけにはいかない。
 昨年の夏、私は大林宣彦監督『この空の花』という映画を観た。長岡の空襲と、その犠牲者の魂を慰める花火大会にまつわる話で、とても感銘を受けた。登場人物に、「花火の音は焼夷弾の音と同じ」だといって、大会の日にひとり、家から出ないという女性がいたのだ。彼女は空襲で幼い我が子を亡くしていた。
 皆出かけてしまって、しんとした部屋のなかに、花火の音だけが響く。花火=鎮魂というイメージから、ここでもはやり、死を連想せずにはいられない。死者と生者、出ていったひとたちと、部屋で待っている自分。どちらがどちらであるか、分からない。正解はないのだ。本句もまた、眠りと目覚め、死と生のあいまいな境界から生まれたといえるだろう。

 以上、取り上げさせて頂いた句はTwitterに発表されたものが中心となった。その他、鉄塊句会やVT句会における寝覚さんの句については、当ブログを遡って改めて鑑賞して頂ければ幸いである。(文・松田畦道)

2013年2月2日土曜日

第九回 研鑽句会


最高得点句

逝った子が父ちゃんとよぶ冬夜の浅い夢


最低得点句

木枯らしよ吹けば飛ぶよな背を押すな

こおろぎが近寄るぼくも話したいことあり

シベリアがある日本海がある木枯しがある


互選集計

(5点) 逝った子が父ちゃんとよぶ冬夜の浅い夢 ◎◎○
(4点) つまり酒飲んでまんまるく夜は寝る ◎○○○●
(3点) 善良なるハゼは夏空見上げ釣られてしまった ○○○
(3点) 安物喜ぶ母がいてきょうは母の日 ○○○
(3点) 鼻にチューブ差し込んだ幼児が指さす冬 ◎○
(3点) 訥とつとシベリア抑留の話寒い話長かった話 ◎○
(2点) カマキリ重なっていてやがて食われるんだろう ◎
(2点) 赤い月は刺客生きているだけで暑い暑い ○○
(2点) 俺のまわり虫鳴かないの俺の難聴か ○○○●
(2点) とんがり山のすそ長くこんがり焼けた雲ひとつ ○○
(2点) 残らず食べてしまった独り夜の灯りに ◎
(2点) 魚が釣れた親子の喜劇のはじまりはじまり ○○
(1点) 娼婦に呼ばれ足もとのぬかるみをなんとするか ○
(1点) スライサーお酒で清め四十年の電源を抜く ○
(1点) マドンナの日傘は廻すためにあり ◎●
(1点) もう少し冬帽でいる僕の歩幅でいる ○
(1点) 消しゴムがひねり出す屑夜長と云う ○
(1点) 病窓から望む白い峰二人遭難の日も輝く ○
(0点) 風吹く夜ほろ酔いでお前の事など ○●
(-1点) 木枯らしよ吹けば飛ぶよな背を押すな ●
(-1点) こおろぎが近寄るぼくも話したいことあり ●
(-1点) シベリアがある日本海がある木枯しがある ◎●●●
(無点) 領土ひろびろひょっこりお目ざめの青蛙
(無点) 上限の月あり大寒の硝子窓へ吐く息
(無点) 天変地異ってトマト一個三百円
(無点) 妻が残した毛糸玉私を黙らせる
(無点) 行進曲音上げてただ落ちるだけの春の雨
(無点) 青田風女おくれ毛がうつくしい
(無点) 酒飲めぬ君が霜月のバナナ一房を買い
(無点) もっと燃えていた筈八月十五日の百日紅

特選(◎)2点、並選(○)1点、逆選(●)-1点として集計。

今回の出句は、自由律俳句結社「海紅」の平成22年1月号~12月号の中より選句したもの。

◆作者発表 ※五十音順

【渥美ゆかり】
残らず食べてしまった独り夜の灯りに

【河合謙】
カマキリ重なっていてやがて食われるんだろうか
病窓から望む白い峰二人遭難の日も輝く
とんがり山のすそ長くこんがり焼けた雲ひとつ

【小山智庸】
領土ひろびろひょっこりお目ざめの青蛙

【紺良造】
消しゴムがひねり出す屑夜長と云う
マドンナの日傘は廻すためにあり
木枯らしよ吹けば飛ぶよな背を押すな

【塩野谷西呂】
俺のまわり虫鳴かないの俺の難聴か
青田風女おくれ毛がうつくしい
シベリアがある日本海がある木枯しがある

【高橋登紀夫】
もう少し冬帽でいる僕の歩幅でいる
つまり酒飲んでまんまるく夜は寝る
酒飲めぬ君が霜月のバナナ一房を買い

【田中耕司】
鼻にチューブ差し込んだ幼児が指さす冬

【田中穂】
逝った子が父ちゃんとよぶ冬夜の浅い夢
妻が残した毛玉私を黙らせる
風吹く夜ほろ酔いでお前の事など

【都丸ゆきお】
訥とつとシベリア抑留の話寒い話長かった話
スライサーお酒で清め四十年の電源を抜く
もっと燃えていた筈八月十五日の百日紅

【中塚唯人】
天変地異ってトマト一個三百円
魚が釣れた親子の喜劇のはじまりはじまり
善良なるハゼは夏空見上げ釣られてしまった

【中塚壇】
娼婦に呼ばれ足もとのぬかるみをなんとするか
こおろぎ近寄るぼくも話したいことあり
上限の月あり大寒の硝子窓へ吐く息

【森命】
行進曲音上げてただ落ちるだけの春の雨
赤い月は刺客生きているだけで暑い暑い

【湯原幸三】
安物喜ぶ母がいてきょうは母の日